
極北の平原に生きる
トナカイ
アラスカに住む人の数が72万人であるのに対して、90万頭以上のトナカイが日本の4倍以上あるアラスカの大地に、生きている。現地の言葉で土を引っ掻く動物という意味の「カリブー(Caribou)」と呼ばれている彼らの生態は、アラスカにとって重要な動物としてこれまで詳しく研究されてきた。

北部ツンドラ平原
歩いても歩いてもただ地平線がその先に広がるだけの、見果てぬツンドラの大平原で、いったいどのようにカリブーを探せば良いのだろうか。調べてゆくと、カリブーは季節移動する中で密集したり拡散したりを繰り返すということが見えてきた。
そしてそして、できる限り南北に走るダルトンハイウェイを北上し、北極の砦であるブルックス山脈を超えて広い視野で探すのが最善策に思われた。
カリブーの動態
季節ごとにどのような動きの特徴があるだろうか。研究を調べてみると、カリブーは、出産をした5月に群れが集い、大きな集団を作るとある(Post calving aggregation)。これがなぜかと考えてみれば、草食動物というのは、自身が一番危険なのは雪が深くなる冬だけれど、自分の子供が危険に晒されるのが出産後ということになる。それで、自分の仔がオオカミやヒグマに襲われるのを避けるために、ある意味では仲間の陰に隠れて集まるのだ。そして、仔が大きく育ち自分で食べるものを探し歩けるようになると、群れは拡散する。
旅の目的
上空からセスナをチャーターして、カリブーが何万頭も列をなして移動している姿を空撮することも、いつかはやりたいと思う。しかし、その前にカリブーという動物について自分で観察して、もっとよく知りたい。これまで遭遇したカリブーを観察する中で、奇妙な動きをすることがあった。突然走り出したり、足を大きく広げて立ちすくみ、何分もずっとそのままの姿勢で固まっていることもあった。何かに反応していたことは確かだけれど、僕の存在を警戒していたわけではなく、別の何かを鋭くキャッチしての行動のように見えた。その、僕が感じ取れない何かは、彼らにとってとても重要なサインなはずで、それが何かを知りたい。彼らだけが持つ世界に、間接的に入り込むことはできるのではないだろうか。
“ 彼らの大移動 ー大地を横切るこの太古の線ー はまるで歌のようだ。季節と季節、命と命を結びつける”
− バリー・ロペス『Arctic Dreams (1986)』

仲間とコミュニケーションをとる動物
同じシカの仲間でみると、アラスカにはヘラジカとオグロジカがいて、そのどちらも基本的に群を作らず単独で動く。群をつくるオオカミは群でいるときに観察したことがない。ラッコ、鳥の群れを観察してみても、仲間とさほどコミュニケーションをとっているようには見受けられない。しかし、カリブーは移動しながら鼻先や顔を向け合って、互いに“対話”しているような仕草を見せる時がある。
この仕草がどういったものかを詳細に記述するには僕の筆力が足りないのだが、僕は自分の身を草むらに隠しながら、その一部始終を見た。
まだ100m以上離れている群れの中の一頭が、なにか異変を感じる。一番初めの異変に対して、前頭が同時に反応するわけではない。その微弱な何かを感知した一頭は、“そわそわ”する。具体的には、首を高くして周囲を眺めたり、カリブーの足を少し広げて頭を低くして鼻を少し上げるあの異様なポーズ。そういう行動を、感知していない隣の個体が仲間の異変を見る。その二頭は寄り添っていき、顔を向け合う。
おそらくは鼻先の上下の運動か何かでコミュニケーションをとる。
群を形作るさまざまな動物の中でも、その群れの中の親和力のような、互いの距離が近い場合と、そうでない場合がある。カリブーは、一見それぞれ固まって群を作り、そのなかで単独で草をはんだり川を渡ったりといった動きをしていながら、なにかあったときに、伝え合うということをする動物であると感じた。
この時は完全に僕自身の身を、草の生える砂の丘に隠し、木々の隙間から彼らの行動を観察した。川沿いをゆっくりと歩きながら、川の流れと並行して進んでいる。カリブーには川に沿って歩く習性が強くあることが見えてきてからは、撮影する時は、先回りして身を隠し、通り過ぎてはまた先回りして隠れる。これを繰り返すことで、彼らの行動を長く観察することができるとわかった。けれど、その一連の動きの中で、ほんの少しでも彼らの警戒する心に触れてしまうと、それを解くためにはかなりの時間(具体的には一時間以上)がかかる。これは、ジャコウウシの10倍の時間だ。
たぶん、走って逃げることで天敵から逃れてきた長い時間が彼らに刻まれているからだろう。単独ではなく、仲間と行動することで実際には周囲を見渡す目の数が増える。周りを見渡して、異物を早くに発見することに仲間同士で貢献し合う。そのなかで、何かを伝達し合う仕草や行動が発達してきたに違いない。これは目で見えることではないし、彼らの閉ざされた世界の中でのことだから、やはり研究報告など調べても出てこない。生き物のそういう部分をこれからも見てゆきたい。
バネじかけのような足
それから、かれらのあの軽快なギャロップで走る姿が不思議でならない。ツンドラ平原は、実際に歩くと平原でもなんでもなくて、ボコボコの歩きにくい湿った草むらであることがほとんどなのだ。そして時折、膝まで嵌るほどの見えない溝があり、歩く者の士気を削ぐ。その歩きにくい大地を、まるでトランポリンの上をホップしてゆくかのようにカリブーは進んでゆく。かれらが地面を蹴り上げると、不思議な別の力が作用して、パチンと音を鳴らして、突如として重力に反発する跳躍が彼らの足に発生するのだ。そして、その弾ける力は200キロの体を中に浮かせて滑らせる。僕ら人間とはまるで次元が違う機動力を持っているのだ。
